自分がどんなに正しくても、絶対に問題は自然に解決しない。

前回は、他の人に与えた「もの」が返ってくる返報の法則、類は友を呼ぶことについて話をしました。今回は、「原因」と「責められるべき」を分けることについて話したいと思います。

前提

1. 人は持っている「もの」しか、他の人に与えることができない。

2. 他の人に与えた「もの」が返ってくる(返報の法則、類は友を呼ぶ)

3. 「原因」と「責められるべき」を分ける。

4.  自分を助けられる者は、自分しかいない。

3. 「原因」と「責められるべき」を分ける。

怒り、悲しみ、憤りを抱くことは人間として当然の反応です。怒り、悲しみ、憤りを抱き続けることが問題なのです。憎しみを抱くほとんどの内容は、「自分が正しくて相手が悪い」

上司が俺の話を聞いてくれない。夫(妻)が悪い。景気が悪い等々。

結論から言いましょう。「自分がどんなに正しくても、絶対に問題は自然に解決しない」

夫婦間の問題で例えると、問題を抱えている夫婦では、「どっちが正しいかなんてどうでもいい。夫婦がうまくいけばいいんだ」と言う夫婦はほとんどいません。

「正しい」という概念は、時代や場所、人との関係によって相対的に決まるのであって、絶対的ではありませんから、どっちが正しいかという争いは永遠に解決しないのです。分かりやすく極論を言うと、人を殺してはいけないという日常生活の「絶対的正しさ」も、戦場の兵士には通用しませんね。

「正しさは相対的に決まる」という視点でみてみると、愚痴や不満を言う人は正しいのです。愚痴や不満を言う人の内容を聞いてみると、おどろくほど、理路整然としていて論理的にほぼ完ぺきに問題点を提示しています。

「プロジェクトが失敗したのは景気が悪いからだ。なぜなら・・・・・・」

ここで言いたいことは、愚痴や不満の内容は正しいということですが、間違っている部分は、「原因」と「責められるべき」を混同してしまっていることです。うまくいかない「原因」は自分自身にあるのです。

上司に話を聞いてもらえないという愚痴や不満では、部下から話を引き出せない上司が「責められるべき」ですが、そもそもの「原因」は、話を聞いてもらえるように段取りしていない自分自身にあります。お金を盗まれたのなら、泥棒が「責められるべき」ですが、お金が盗まれる「原因」を作ってしまったのは自分自身です。

自分が憎しみを抱いているのであれば、憎い人が「責められるべき」ですが、憎しみを抱く「原因」を作ったのは自分自身です。「責められるべき」は憎い人ですが、憎しみを人生のプラスに変えられない「原因」は自分自身です。

他人を変えるより、自分を変えるほうが簡単なのですから、「原因」と「責められるべき」を分けて、自分の「原因」を改善・コントロールしたほうがいいのは明白でしょう。

返報の法則で、上司に「責められるべきはあんただ」伝えると、「お前が悪いんだ」と返ってきます。上司に「理不尽な責任は負いかねますが、私が原因である部分の改善点と改善策はこうです」と伝えると、「俺に責任がある。同じような失敗を繰り返さないためにも、君の改善策を取り入れよう」と返ってきます。

(;一_一)たぶんね。


【参考】

史上最強の人生戦略マニュアル』フィリップ・マグロー(きこ書房)

 

フリー(無料)ビジネススクールの詳細はコチラをクリック!

・誰でもフリー(無料)で参加できます。

・グループメンバー(会員)はご自身のお友達を自由に追加できます。お気軽にお友達もご一緒に参加ください。